鋼を熱処理すると、鋼の結晶構造や結晶粒の大きさが変化する以外に、鋼の中に含まれる異種原子の存在状態が変わる。異種原子が析出する最小平衡濃度を固溶限と定義する。異種原子はその濃度が固溶限より少ない場合は固溶状態で存在し、その濃度が固溶限を超えると、化合物として析出する。固溶限は析出物を形成のために相互反応する物質の熱力学的性質により決まる。物質間の相互作用が正で析出物形成のギブスのエネルギーが負で大きい場合は、物質の濃度が低くても析出物を形成する。

図は、鉄鋼材料で最も基本的な鉄-炭素の平衡状態図であり、変態点や固溶限が炭素量によってどのように変わるかを示している。低炭素鋼の熱処理では、フェライトへの炭素の固溶限を表す線分PQが重要である。この線分PQで表されるフェライトへの炭素の固溶限は高温ほど大きいので、鋼を加熱すると固溶限が増加し、その鋼の炭素濃度を超えると、析出していたすべての炭化物は分解して固溶する。この鋼を冷却して固溶限が減少すると、再び析出するという変化が起こる。

安定的に存在する結晶構造や異種原子の存在状態を取り扱うのが、熱力学による平衡論であるが、熱処理によって実際に生じる組織は、平衡論だけでは決まらない。鋼中の炭素が析出する場合、熱力学的に安定な状態はグラファイトであるが、実際には準安定形であるセメンタイト(Fe3C)が析出する。グラファイトが析出するには、平衡論から予想される変化が起こるまでの、十分な原子の拡散が必要である。急速冷却の場合のように十分な拡散が得られないときには、変化は途中で止まる。反対に、塑性変形は析出サイトを増やしたり、拡散を促進することによって析出を加速する。これらの現象を利用して、結晶構造や析出物の大きさ、分布を制御することにより、同じ成分の鋼でも異なる組織が得られる。

微細析出物は周辺の鉄の結晶格子を大きくひずませるため、転位の運動にとって大きな抵抗となり、微量でも強度を増す。析出物を微細に析出させるには、熱処理や熱間加工の温度範囲で、固溶、析出現象が生じる元素が適している。このような元素として、炭窒化物を形成するニオビウムやバナジウムがある。これらの元素を含む鋼の熱間圧延の過程で、圧延条件や冷却を制御し、結晶粒の微細化や微細析出物によって高強度化を図る加工熱処理技術が実用化されている。このような鋼は、熱処理によって組織を広範囲に変えることができる。これが、鉄鋼材料が幅広い特性を有し、かつ用途に応じた適切な特性を選びうる理由である。